足の踏み場もないような

とっ散らかったあれやこれらを

旅の純度

昔からの友達がちょっと大きいバイクの免許を持っていて、去年の夏に北海道を旅したらしい。

実は私は写真を撮ることを趣味としていて、どこかに出かけるときはだいたいカメラをカバンに入れている。その「どこか」には当然旅行で訪れる先も含まれていて東京であったり静岡であったり広島に行ったときも当然持って行った。しかし、彼は写真を撮ることを趣味としていない。私からしてみれば何のために旅をしているの?というふうに思ったのだ。バイクに乗って風を感じて人と話して道に迷って。写真を撮ることはあるだろうけど、決してカメラを構えてということはないのだろう。

彼は旅をするために旅に出たんだろうなと考えた。旅という目的。旅という手段。とても純粋な旅だ。そう考えると私の旅はひどく不純なものに思えてきた。何のために旅をしているの?写真を撮るため?本当に旅がしたいの?楽しんでいるの?とそんなふうに。

実際、きれいな景色を前にして忙しなくカメラの設定を変えて撮ってを繰り返すのはとても不毛な気がするし、写真撮ってる場合じゃないだろうとカメラを置いてしまいたいと思うこともある。

ラーメンを食べに行ってラーメンの写真を撮ることがある。ただ、麺が伸びたりするのが嫌だから極力早く撮るようにしている。すぐ食べたいし。でもたまにラーメンが置かれて写真をゆっくり撮って編集してTwitterなりに投稿してからお箸を割る人がいる。麺が伸びる。ラーメンを食べに来たのかラーメンを食べた投稿をしに来たのか。

要はかける時間や労力の比率なのだろう。自分で嫌にならない程度の比率を見つけてそれを保ちたい。旅のついでに写真を撮っていると言える程度の比率を。

でも、一度くらいカメラを家に置いて純度100%の旅に出るのもいいかもしれない。できる気がしないけど