足の踏み場もないような

とっ散らかったあれやこれらを

生活しやすさの維持

溜まっていた洗濯物をたたむとか、消耗品を補充するとか、積んで崩れた本の山を整えるとか。あと、新しく銀行口座を開くとか。

その行為自体にはさして面白みはないけど、やらないと自分が困ったり、やることで自分が楽になる用事をすることは嫌いじゃない。

 

別にやらなくても生活は回っていくんだけど、寝坊したときにすぐに服を選べたり、空になったシャンプーのタンクを連打しなくてよかったり、朝起きたとき目に入るものでげんなりしなくていいとか。水路に溜まった泥をかき出してうまく水が流れるようにするような感じ。

 

今日の午後に新しく銀行口座を作った。

普段からかなり散財している友だち(失礼)がそのわりによく旅行とかに出かけていたりするからどうやって貯金してるの?と聞いたところ、一度入れたら貯まるまで引き出さない口座を作って、そこに余ったお金を入れたらいいと言われた。

何をそんなにと思うかもしれないけど、当の僕にしてみてはとても画期的な考えだった。

 

それを聞いたのが今年の春先で、早く口座を作ろうと思っていたけど、車の免許を持っていない僕は口座の開設のために住民票の写しを用意しなければならない。しかし市役所が空いている時間に地元にいることが少ないため、なかなか行動に移せずにいた。

 

それで今日。

午後に急に時間が空いたから急いで電車に乗って地元に戻って市役所へ。最後に来たのはいつだろうかとか自転車で来るのは初めてかもとかそんなことを考えながら書類に記入して職員さんに渡して目的の書類を受け取った。

その足で銀行に行った。今日すべてを片付けたいと思ったから。

最近の銀行はすごいね。手書きじゃなくてPCで住所とかを打ち込んで申し込みができる。字が汚い僕としてはとても嬉しい。

ブースに案内されて銀行の商品、たまにCMで見かけるニーサとかそんなやつの説明を受けながら口座を作ってもらった。

とても早かった。

とりあえず少し前に買うか買わないか迷って結局買わなかったものの代金(なんかややこしいね)を買ったものとして口座に入れた。

冬が始まる頃には少しまとまった額になってるのだろうか。そうあってほしい

ポイントカードに使われる生活

実は約1年前、だいたい3月の中頃にポンタカードを失くした。ローソンで使うことのできるカード。100円で1ポイントが貯まるやつ。いつも通りお昼休みに職場の最寄りのローソンに行き、パンを2つほどと飲み物、コーヒーだったり牛乳だったり豆乳だったりを買って店を出た。

その日は急いでいた。100円ちょっとのおつりとレシートと、ポンタカード。それらをレジ袋に押し込んで歩き始めた。職場に戻ってパンの袋を開ける。食べる。レジ袋に入れる。そして縛ってゴミ箱へ。

 

そうして5年ほどこまめに、コンビニが近くに複数あればローソンを選び、少し離れていてもわざわざローソンを目指し、ファミリーマートのドーナツの方がおいしいのでは?と思い始めた自分をうまく騙し、店舗数からより見つけやすいセブンイレブンをパッケージデザインが好みでないと一蹴し、ちまちま貯めていたポンタカードのポイントは消えた。

失くしたことに気づいてしばらくはとても悲しい気持ちになった。一体どれくらいのポイントがあったのか、ローソンの拘り、固執し続けた日々はなんだったのかと。

それから1か月ほど経ってあることに気付いた。何かを買いたいときはふらっと目についたコンビニに入ってもいいことに。googlemapでローソンと入力する必要はもうない。町で見かける緑や赤の看板から目を逸らさなくてもいい。

私は自由になった。好きなものを好きな場所で好きな時に。レジで急いでタヌキが大きく書かれたカードを探す必要もない。

私はカードに縛られていた。5年もの間ずっと。しかし大切なことに気付いた。人は本来自由なのだ。代替の利くポイントカードは捨てよ。すべてのポイントを使い切ったのちに

言ったからには

おはようとか寒いねとかそんな挨拶をする。そして毒にも薬にもならないような会話をして最後に「またね」って言う。何気ない毎日の流れだけど、その流れを生むには一つとても大切なことがある。

またねと言うにはまた会ったときに「またね」と言った日のように話しかける必要がある。それは明日でも明後日でも1ヶ月後でも。

 

僕は人付き合いが苦手だ。ある程度まで仲良くならないと相手を見かけても話しかけることができない。できるだけ気付かれないように、気付いていないふりをして脇をすり抜ける。どうしようもないときは会釈だけ。

そんな人間だから「またね」なんて無責任なことを言うことができない。普通の人からしたら無責任?といった感じだろうけど。

「またね」なんてそんなことを言ったのに次に会ったときに気付かないふりをするなんてとても失礼だ。

また会ったときに話しかけることができない人にまたねと言う資格がないというか、そもそも誰かに話しかける資格がないようにも

 

心地よい不慣れ

今朝寝坊した。

とても急いでいたから混乱しながら普段とマフラーを逆に巻いていた。

それだけで首元が落ち着かなくて。首元だけじゃない。全てのバランスが狂ったような。

でもその感覚は決して悪いものじゃなくて新鮮な感じがして。ずっと同じことをしていると何かが偏るのかもしれない。よく言えば「慣れ」というものになるのかもしれないけど。

生まれてずっと右手で字を書いているから右手で字を書くことには慣れている。でも左手だとまともに書けない。

ないがしろにされた左手。

 

さすがに今から左手でも字を書くようにしようとは思えない。でも、腕時計を逆につけたり、お風呂で頭じゃなくて体から洗ったり、普段とは逆側の駅の出口を使ったり。それだけのことで少しさっぱりというか新鮮な気持ちになれるかもしれない。

ほどよく慣れてしまってからの方が新鮮さが大きく感じられる

虫歯ができて思うこと

    虫歯があることに気付いた。わりと大きい。少し前から冷たいものがしみたりしていたから薄々気付いてはいたんだけど。でも病院に行きたくない。そう思ってだらだらと引き延ばしてきたが、さすがにこれはまずい。

  歯医者さんに行くのが嫌なのは治療が痛いとかそんなのではなくて、どこか後ろめたいからだと思う。

  風邪をひいて病院に行くとか、段差でつまずいて捻挫して病院に行くといった場合はどちらかというと自分は被害者である。もちろん寒いのに裸で寝ていたとか歩きスマホをしていたのなら自分が悪いけど。

  それに対して虫歯はどうか。よほどの例を除いて大抵は歯磨きをサボったせいだ。疲れていたとか忙しかったとか単に忘れていた、そんな理由で歯を磨かなかったから。虫歯になったのは自分の落ち度だ。自分が悪いことを分かった上で行く。宿題をやらずに学校へ向かった小学生の頃の朝を思い出す。

  別に歯医者さんにありえないほど怒られるとかそんなことはないんだけどさ。怒られないからこそ後ろめたい

旅の純度

昔からの友達がちょっと大きいバイクの免許を持っていて、去年の夏に北海道を旅したらしい。

実は私は写真を撮ることを趣味としていて、どこかに出かけるときはだいたいカメラをカバンに入れている。その「どこか」には当然旅行で訪れる先も含まれていて東京であったり静岡であったり広島に行ったときも当然持って行った。しかし、彼は写真を撮ることを趣味としていない。私からしてみれば何のために旅をしているの?というふうに思ったのだ。バイクに乗って風を感じて人と話して道に迷って。写真を撮ることはあるだろうけど、決してカメラを構えてということはないのだろう。

彼は旅をするために旅に出たんだろうなと考えた。旅という目的。旅という手段。とても純粋な旅だ。そう考えると私の旅はひどく不純なものに思えてきた。何のために旅をしているの?写真を撮るため?本当に旅がしたいの?楽しんでいるの?とそんなふうに。

実際、きれいな景色を前にして忙しなくカメラの設定を変えて撮ってを繰り返すのはとても不毛な気がするし、写真撮ってる場合じゃないだろうとカメラを置いてしまいたいと思うこともある。

ラーメンを食べに行ってラーメンの写真を撮ることがある。ただ、麺が伸びたりするのが嫌だから極力早く撮るようにしている。すぐ食べたいし。でもたまにラーメンが置かれて写真をゆっくり撮って編集してTwitterなりに投稿してからお箸を割る人がいる。麺が伸びる。ラーメンを食べに来たのかラーメンを食べた投稿をしに来たのか。

要はかける時間や労力の比率なのだろう。自分で嫌にならない程度の比率を見つけてそれを保ちたい。旅のついでに写真を撮っていると言える程度の比率を。

でも、一度くらいカメラを家に置いて純度100%の旅に出るのもいいかもしれない。できる気がしないけど

採算の取れる付き合い方

人と会うのはそれほど嫌いじゃない。でもその日が近づくにつれてだんだんと億劫になる。相手が嫌だとか、行く場所が嫌だとかそんなんじゃなくて。

 

苦手な相手と苦手な場所に行く予定はそもそも生まれない。

 

会えば楽しいのにそれまでが少ししんどい。

もしかすると人と会うのが嫌いなのかもしれない。たしかに1人でずっと家で過ごす土曜日ほど好きなものはないけど。

 

人と会うのは好きだけど、同時に何かを消耗しているのか。ディズニーランドはとても楽しい場所だけど、楽しむためには入場料が要る。それと同じように人と会うのは楽しいけど入場料のような、何かを楽しむための対価を無意識に支払っているのかもしれない。

 

ディズニーランドに行ったことはないが。

 

気力とかそんなものを消費しているのかも。

会って何も消耗しない、もしくはむしろ補給されるような相手は存在するのか。

 

入場料の要らないディズニーランド。

入場料はかかるがランド内で商売のできるディズニーランド。

 

ディズニーランドには行ったことがない。

 

夢が無い。あと現実的じゃない。そんな相手はたぶんきっと存在しないのでしょう。そうならそうで一番燃費の良い相手と